Sabtu, 21 Agustus 2021

コジマの太陽看板は「街を明るくしている」 実は残り6店のみ...写真撮り続けるマニアの「願い」 - J-CASTニュース

   郊外の幹線道路を車で走っていると、ニッコリと笑った太陽が目に飛び込んでくる。家電量販チェーン「コジマ」(本社:宇都宮市)の看板だ。

   かつては全国どこでも見られた、お馴染みの看板。しかし、コジマのブランド転換が進んだ今、こうした光景は「過去のもの」となりつつある。残りわずかの「太陽看板」を記録するため、全国を駆けるマニアに思いを聞いた。

  • 今や希少になったコジマの「太陽看板」(昭和日記さん提供)

    今や希少になったコジマの「太陽看板」(昭和日記さん提供)

  • 今や希少になったコジマの「太陽看板」(昭和日記さん提供)

看板撮るため150店舗以上を訪問

「え!?マジ!?!?」
「知らんかった...」

   2021年7月14日、あるツイートに驚きの声が寄せられた。ツイート内容は、かつて全国どこでも見られた「太陽看板」のあるコジマの店舗が、現在はごくわずかになっている、というものだ。

「(拡散してくれたユーザーの)心の中に、かつての太陽看板のコジマの記憶があるということを実感し、嬉しく思いました」

   投稿者の昭和日記さんは、8月7日、J-CASTニュースの取材に対し、ツイートへの反響に思いを語る。昭和日記さんは今から9年前の2012年から、関東を中心に「太陽看板」があるコジマの店舗を訪問、写真に収めてきた。訪れた店舗は、すでに閉店したものも含め、150店舗以上にのぼるという。

   普段から商業施設の写真を撮るのが好きだという昭和日記さん。太陽看板の写真を撮り始めた12年は、コジマが家電量販大手・ビックカメラ(本社:東京都豊島区)の子会社となった時期だ。「店舗の閉店が多く見受けられたことから、(看板が)いつか消滅してしまうのではないかという風に考えておりましたので、写真に収めることにしました」

同じように見えても微妙な違いが...

   コジマの太陽看板といえば、はち切れんばかりの笑みを浮かべた、あの表情が印象的だ。だが昭和日記さん曰く、一見同じようにも見える太陽看板にも、実は微妙な違いがあるという。一つは、太陽が平面的なイラストで描かれたタイプ。二つ目は、立体的な太陽のロゴを上からライトで照らしているタイプ。そしてもう一つが、夜になると光るネオン管タイプだ。

ネオン管タイプ(左)、イラストタイプ(右上)、立体的なタイプ(右下)の太陽看板(昭和日記さん提供)
ネオン管タイプ(左)、イラストタイプ(右上)、立体的なタイプ(右下)の太陽看板(昭和日記さん提供)

   昭和日記さんは、このネオン管タイプが特にお気に入りだと話す。「夜空にギラギラと輝く太陽は街を明るくしている、そんな気がして非常にわくわくしていました」

夜に光るネオン管タイプの看板(昭和日記さん提供)
夜に光るネオン管タイプの看板(昭和日記さん提供)

   そもそも太陽看板は、どのようにして生まれたのだろうか。06年にコジマの創業50周年を記念し、発行された「夢をひとつに:株式会社コジマ50周年記念誌」に、経緯が記されている。

   コジマは1955年、家電を扱う個人商店「小島電機商会」として栃木県宇都宮市で創業。70年代以降は多店舗化に乗り出し、北関東エリアを中心に店舗網を広げていくことになる。

   太陽のマークを使い始めたのは、栃木県外への出店を積極的に進めていた最中の85年7月。記念誌には、次のように採用経緯が書かれている。

「(創業者で名誉会長の)小島勝平夫妻がドライブ中にヒントを得たとされている。その後、大勢の社員に顔の入った太陽マークを描かせ、そのなかから自らのイメージを絞り込んでいった」

実は「ニッコリ太陽」じゃなかった可能性も...

   そして、記念誌には驚くべき内容も書かれていた。以下は、コジマの加藤孝幸専務(発行当時)のコメントだ。

「最終候補に残ったのは2案ありました。現在使っていない方の案はウインクしている図柄で、今でも水戸店に残されているはずです。一時は看板に太陽マークを2タイプ描いていたこともあったのですが、ウインク型はしばらくしてはずしました」

   なんと、笑顔の太陽ではなく、ウインクした太陽がコジマの「顔」となる可能性もあったというのだ。

   それでも、結果的には笑顔の方が採用された。加藤氏は「採用された原案に、名誉会長は自分で手を入れていきました。口を大きくして笑顔を強調し、角度をつけ、鼻を取ったことを覚えています。『商人は鼻を高くしてはいかん』と諭されたことが長く印象に残りました」と、ブラッシュアップの経緯を振り返っている。

   こうして誕生した太陽のマークは「いつでもお客様に明るさと暖かさを提供し続けていきたい」(同記念誌)という思いのもと、当時店舗を増やしていたコジマの「顔」となっていく。

   89年に全国100店舗を達成。「安値日本一への挑戦」をキャッチフレーズに掲げ、97年〜00年度には4期連続で家電小売業界トップの売上を記録した。98年には東証一部上場を果たすなど、文字通り業界の「太陽」となった。

また一つ、陽が落ちた

   コジマは08年に島根県松江市への出店で「全国47都道府県制覇」を達成。10 年には全国222店舗を展開していた。しかし、00年代以降は慢性的な赤字体質が続き、12年にはビックカメラの子会社になった。

   再生の一環として、13年からは既存のコジマ店舗が新ブランド「コジマ×ビックカメラ」に転換されていく。これにより、太陽看板は赤いロゴへと置き換えられ、数を減らしていくことになった。

   J-CASTニュースが8月3日、コジマに取材すると、同日時点で「太陽看板」が残存しているコジマの店舗は全国7店舗だった。そうした中、8月15日には看板が残っていた「学園都市店」(茨城県つくば市)が閉店。

   また一つ、陽が落ちた。コジマの担当者は、現在展開する太陽マークの今後の処遇について「検討中」としている。

   斜陽になりつつある、コジマの太陽看板。写真を撮り続けてきた昭和日記さんは、「かつてのネオンをギラギラさせて、街に輝くコジマの太陽は非常に魅力的でありました。だからこそ、この魅力を太陽看板が減っている今、皆さんにお伝えしたいと思い、記録しております」と話す。

   そして、最後にこんな「願い」を語った。

「今では片手で数えられるほどの店舗数となってしまいましたが、残りの店舗の1店舗でも太陽看板を残していただきたいと思っています。あのツイートに多くの反応をいただいたということは、『コジマ=太陽の看板だ』と思っている方が一定数いるということです。コジマ×ビックカメラの店舗にも小さくでも太陽ロゴを掲げていただけたら、それほど嬉しいことはないと思っています」

(J-CASTニュース記者 佐藤庄之介)

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2021-08-21 08:00:00Z
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